男と女のおはなし

男と女が仲よくなって妬いて妬かれて飽き果てて西と東へ別れゆく。そのあと二人はどうなるのだろうか。
「落ち葉の舞い散る停車場に」よく似た女が集まって嘆き悲しむと思ったら大間違いだと私は思う。
別れた女にはグミの実の小籠があれば足る。その実をひと粒含むごとに女は過去を消していく。食べ終わった女は窓辺にもたれて今昔《こんじやく》物語の一節でもつぶやくであろう。
「丈すわやかにて少し赤ひげなるありけり」これで完《おわ》りである。
男と女のおはなし

気の毒なのは男である。
飽いた筈の女がおんぶお化けとなって、その日から男を苦しめはじめるのだ。それは雑踏の改札口であったり、赤提灯《ちようちん》の下であったり、ふとした日常に男の肩は重くなる。たまりかねて男は電車に乗ったりする。枯葉のように終着駅へ集まるのは、だからよく似た男たちであると私は考えるのだがどうだろう。
一般に女はリアリストで男はロマンチストだといわれるそれを、別れの場面において考えるときに私は理解できる。
「お月さまをいっしょに見てくれない」だの「彼ったらあんなにいい音楽がわからないのよ」などと、女はロマンに酔いたがるけれど、ほんとうのロマンチストとはそんな皮相的なものではないだろう。
飽いて別れた女を終生かついで歩く男の背に私はロマンの真髄を見る思いがする。
女があっけらかんとグミの籠から蘇生するのは、男の肩に念のすべてを預けて来たからではないだろうか。
月のかさめぐり逢わねばただの暈
強がりを言う瞳を唇でふさがれる
別れねばならない人と象を見る
無花果《いちじく》のどの実も青く去る人よ
風を見ていると答えた女なり
まっすぐにみつめて有難うを言う
 これが他の人の句であったとしても、私はこの稚《おさな》くて瑞々《みずみず》しい感覚に惹かれるであろうと思う。ここには「念」を男の肩に背負わせて「今昔」を誦ずるが如き女は存在しない。これらの句を生んだ日、私は若く、浅瀬の水は貝の影まで映していた。
油絵のような男が何人も通り過ぎて、私もグミの実をいっぱい食べた。紺青の海はときに黒かと見まがうほどに深かった。
そして今、海は一番美しい五月のくれなずむ空を映している。ふたたびの浅瀬に貝はかぞえるほどしか棲まないが、その一つが永劫の光を持っているのが見える。
白光、果して私はこれを句に定着できるか。

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夕ざれば急にととのう竹の箸
二人から一人になりぬ豆の花
「衰えてください」と、その人は言った。

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